「東京では家はもちろん、犬コロまでB-29で、軍需工場でもないところまで非戦闘員を爆撃したではないか。広島と長崎には原爆を落とした。これは一体どうしたことだね。世界の道義に訴えて世論を喚起すべき性質のものであろう。トルーマンの行為は第一級の戦犯だ」。大東亜戦争後、戦争犯罪人としてアメリカの判事から尋問を受けた、石原莞爾が発した言葉だ。さらに石原は、外国人記者を前に、「戦時中、日本の軍隊が多くの悪いことをしたことは否定しない。(中略)むろん忌むべき行為であるが、これらの偶発的な事件と、計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ、戦犯第一級中の第一級の行為である」と気炎を上げた。米軍による日本の都市への空襲、原爆投下が、非戦闘員を殺す国際法違反であるとし、トルーマンを痛烈に批判したのだ。
こうした石原の主張は、戦後の米軍占領政策下において消し潰され、日本悪玉論が幅を利かせるようになる。すなわち、大戦を通じて日本中にもたらされたすべての惨事は、たとえそれが深刻であろうとも、邪悪な戦争をした日本が自ら招いたものであって、そこに何ら弁明の余地はないという「空気」である。特に、人類史上最悪の行為とも言える原爆投下についての言論は神経質なまでに制限された。“侵略国家日本”に鉄槌を下すため、原爆投下が本当に必要なことであったなら、その正義の根拠がありのまま発信されても不都合はないはずだ。だが、原爆の悲惨さや非人道性や違法性などを示唆する批判的な言論までもが徹底的に排除された。その背景には、正義の戦争を遂行するという米国の大義名分が、原爆投下の非人道性によって取って代わられ、米国が加害者、日本が被害者にすり替わることを怖れたためと思われる。
現在の米国の教科書では、原爆使用の正当性の根拠として、トルーマン声明の「戦争を早く終わらせるために、数多くのアメリカの青年の命を救うために、原子爆弾を投下した」という点が特に強調されている。当時、米国は日本との戦争を終わらせるため、「原爆使用」「ソ連参戦」「降伏条件緩和の声明」「本土侵攻作戦」という4つの選択肢を準備していた。1945年7月26日に発せられたポツダム宣言では、天皇の地位の保障が明記されず、これにより日本がポツダム宣言を受諾せず「日本を降伏させない」状態をつくりあげた。折しも、トリニティー実験が成功し原子爆弾の実用化が決定し、ソ連の手を借りずに日本を力づくで降伏に導ける見通しがついた。こう見てみると、米国は早期終戦・人命節約ではなく、原子投下の実現こそを再優先で模索していたと考えられなくない。
現在の日米関係は、強固な連携のもと継続している(少なくとも外面上は)。だが、大東亜戦争の結果、片方が一方的に正しく、もう片方が一方に悪いというのでは、本当の仲直りをしたことにはならない。日本人は、大戦で世界の多くの人たちに苦しみを与えてきたと詫び続けてきたが、それとは別に、大戦末期に米軍が約100万人の民間人を殺戮したことは、慰められることなく、日本人の記憶に焼きついている。日本は核兵器使用による唯一の被爆国として、米国のとった行動について批判する歴史的な責任がある。米国人があの残虐な行為を「正義」と理解していたら、米国は将来必ず同じことを繰り返すだろう。日本人は戦争に負けたからといって卑屈になってはいけない。日本にも日本の「正義」がある。それを語ることで、日米関係の未来に良い影響を与えるであろう。