撃墜王。かつての日本軍にはこう呼ばれる英雄たちがいた。零戦や飛燕といった戦闘機を駆り、次々と敵機を撃ち墜していった彼らは、当時子供たちの憧れだった。しかし、戦後その称号はいつしか死語となっていった。日本を占領統治したGHQの洗脳プログラムによって日本人は自虐史観に染め上げられ、戦地で命を懸けて戦った軍人を「侵略戦争の手先」「人殺し」など見なすようになってしまった。元軍人たちも戦争で負けたことの自責の念もあって次第に口を閉ざしていく。たとえメディアの取材に応じても、記事になるのは日本軍の非人道性、残虐さに関わる話ばかり。果たして、このまま「日本は戦争で酷いことをした」ということだけが次世代に伝わり、生き証人たちが次々と鬼籍に入られる中、いかに勇敢に戦ったのかということは消し去られてしまうのだろうか。著者の井上和彦氏は、撃墜王と称された5人の戦闘機パイロットへの取材を通して、薄れていく「戦争の真実」を後世に残そうという気概を筆に託す。本書では、板垣政雄軍曹、生野文介大尉、竹田五郎大尉、笠井智一上等飛行兵曹、本田稔少尉のインタビューを収録。いずれの方も現在90歳以上と高齢で、すでに逝去された方もいる。真実の歴史が記された遺書として読みたい。
昭和20年3月19日、空母16隻を主力とする米海軍第58機動部隊が四国南方の海域に現れ、艦載機による攻撃を仕掛けてきた。米軍の目的は、沖縄攻略作戦の露払いとして、主に西日本の航空基地を制圧することにあった。日本海軍きっての精鋭部隊、第343航空隊はこの日を手ぐすね引いて待っていた。「サクラ、サクラ、ニイタカヤマノボレ」。源田実司令が全機発進の暗号を発信すると、54機の紫電改が松山基地から大空へと飛び立った。本田兵曹が所属する第407飛行隊17機は上空5000メートルで態勢を整え、空母エセックスから発したグラマンF6Fヘルキャット16機に狙いを定め鬼神のごとく襲いかかる。本田氏は当時を振り返る。「紫電改の20ミリ機銃4門が一斉に火を噴く。次の瞬間、私が狙いをつけたグラマンはパっと白い煙を吐いた」。その後、大乱戦になるも、第343航空隊の奮戦は凄まじく敵の大編隊を次から次へと撃ち堕としていく。この日の戦闘で撃墜57機を数え、米軍を震えあがらせた。だが、こうした胸のすくようなエピソードだけではない。帝都防衛のため、極限まで軽装にした飛燕を駆って高高度にいるB29に体当たり攻撃を敢行した話。特攻機の掩護につくも航続距離が足りず途中でバンク(翼を振る)して帰還しなければならないのだが、待ち受けていた米軍機に特攻機が撃墜されていくというやるせなさ。そして、米軍の圧倒的物量に反して深刻な物資不足により、命を分け合った戦友がひとりまたひとりといなくなっていく現実。
「私たちが戦った大東亜戦争は、紛れもない自存自衛の戦いでした。また、戦うからには勝たねばならんという思いでしたよ。そして我々は精一杯やったと思います。とりわけ特攻隊員の方々などは、まさに生き神様だったと思います。結果的に、大東亜戦争のおかげでそれまで欧米列強の植民地だった国々が独立できたことは事実なのです。我々はこうした事実を事実としてしっかりと受け止めておくべきだと考えております」。竹田氏の言葉だ。本書はただの戦争記録ではない。いまの日本を生きている私たちは、国のために魂を差し出した先人たちの言葉から学ばないことには、自分の国は守れないと知るべきだ。