財務省が「日本は財政破綻する」「日本の国の借金は1000兆円超」「国民一人当たり800万円超の借金」といった虚偽のプロパガンダで国民の不安を煽ることで、さまざまな「亡国の政策」が推進されている。消費税は増税され、介護や医療といった社会保障も削減されてしまっている。こうした財務省の財政破綻プロパガンダに基づく緊縮財政路線には、大きな罪がふたつある。ひとつ目は、日本経済のデフレ脱却を妨げ、国民の貧困化、国力の衰退を促進し、最終的には発展途上国へと我が国を導いている点。財務省の緊縮財政至上主義は、日本国を小国化することで、最終的には亡国状態に追いやろうとしている。ふたつ目は、日本のデフレを継続させることで、日本のさまざまな制度を破壊し、国の形すら変貌させてしまうグローバリズム路線を正当化させてしまうという点である。グローバリズムの政策である規制緩和、自由貿易、緊縮財政の3つは、政府を小さくするという点で同根で、デフレの深化によりさらなる緊縮財政に導かれるという悪夢の循環関係にある。著者の三橋貴明氏は、緊縮財政、規制緩和、自由貿易という政策パッケージを「グローバリズムのトリニティ(三位一体)」と名付け、国民をひたすら疲弊させていっている財務省の緊縮財政至上主義に鉄槌を下す。
国境という規制を緩和し、モノ、ヒト、カネの移動を自由化するのが自由貿易。国内で各種の規制を緩和するのが規制緩和。そこに緊縮財政を加えることで、デフレによる貧困化路線を選択し、国家的な自殺路線を推進している財務省。バブルが崩壊し、日本国民はピークに比べて15%も貧しくなってしまった中、第二次安倍政権の誕生によりデフレ脱却の機運が高まったが、財務省の路線を踏襲してしまったことで水泡に帰してしまった。特に、2013年6月の「骨太の方針2013」において、「国・地方のプライマリーバランス(PB)について、2015年度までに2010年度に比べ赤字の対GDP比の半減、2020年度までに黒字化、その後の債務残高の対GDP比の安定的な引き下げを目指す」と、PBの黒字化目標が閣議決定されてしまったことが決定的に影響した。財政健全化の定義は、PB黒字化でも政府の負担削減でもなく、政府の負債対GDP比率(政府総債務残高の対GDP比率)の引き下げだ。PBは国債関連費(国債の償還や利払い)を除く、政府の歳出と歳入(税収、税外収入)のバランス(収支)と定義される。PBが均衡していた場合、国債金利を名目GDP成長率が上回っていると、政府の負債対GDP比率は減少する。その反面、PBが赤字になっても、国債金利が低く名目GDPの成長率が高ければ財政健全化は達成可能だ。現在の日本では、国債金利が10年物国債であっても事実上のゼロなので、国債金利の支払いによる政府負債の増加については無視して構わない状況になっている。
財政健全化である「名目GDP成長額>PB赤字額」となるためには、名目GDPを増やす、PBの赤字額を減らすのいずれかを選択する必要がある。PBの強引な黒字化追求は、政府の支出を削減し増税を正当化するため、名目GDPの成長を抑制する。日本国は、デフレ下の国がPB黒字化を追求すると、財政はかえって悪化するという理論を実証してしまっているのである。そもそも政府がPBを黒字化する必要などない。日本に限らず、徴税権と通貨発行権を持つ政府は、国民経済を成長させ、国民を豊かにするためであれば、財政は赤字でも一向にかまわない。政府は「利益=黒字」を目的にした企業ではなく、国民が安全に豊かに暮らすこと、すなわち経世済民を目的としたNPO(非営利組織)なのだから――。本書の内容は、三橋氏の著述によく触れているなら、その詳細なまとめとして捉えるべきであり、新たな気づきを得られる印象は特にないと感じた。また、主人公である「財務省」について、緊縮財政路線にこだわり日本を経済成長させない戦術を採っていることはわかった。では、どこにその戦術を採用する戦略があるのか。つまり、なぜ財務省が緊縮財政に執着するのか、さらには財務省自体を動かしているのは何なのか。本書で語られていないその重要な一件について、三橋氏はきっと知っているはずだ。