永遠の0

百田尚樹

大東亜戦争末期、エースパイロットとして名を馳せながら特攻隊として散華した祖父の足跡を追う。フリーライターである姉にせっつかれ雑誌の企画に協力する体裁で、かつての祖父を知る元帝国軍人を訪ねて歩く主人公・健太郎。その先々で、祖父を「臆病者」呼ばわりする人がいる一方、「最高級の零戦搭乗員」「命の恩人」と激しい情感とともに述懐する人とも出会う。果たして、そのうちのどれが正確な祖父であるのか。真珠湾からミッドウェー、ラバウル、ガダルカナル、レイテ島、そして本土防衛戦を通して、祖父にまつわる知られざるエピソードが明らかになっていく。

はじめは、小説の形式を借りた戦記物かと思った。それほど大東亜戦争における空戦の描写が多く、600頁あるうちの三分の二程度が割かれているからだ。過去と現在が交錯して描かれる中、祖父、宮部久蔵は抜群の操縦テクニックで当時世界最強の戦闘機だった零戦を駆り、次第に切迫していく戦局を乗り越え各地を転戦。そんな宮部が胸に秘めた思いというのは、「お国のために玉砕」ではなく、内地に残してきた妻と娘のため「生きて帰りたい」というものだった。これは当然、帝国軍人として許されざるものであったが、その思いは、宮部が戦死し終戦を迎えたあと、あっと驚く意外な人物により結実する。

読み終えた感想として、「このような戦争は二度と繰り返してはいけない」という反戦思想に基づいたコメントをしておけば、合格点をもらえるだろう。だが、本当にそれでいいのだろうか。戦後、アメリカ流の個人主義が蔓延し、身内以外の隣人に関心を示さなくなった現代人においては、戦時中の「国を守りたい」「愛する人を守りたい」という純粋な思いは理解の及ばないことではないのか。「守りたい」という強い気持ちは、絶体絶命の窮地に陥ってこそ発露するもの。いま僕にそんな人がいるだろうかとちょっと考えてしまった。


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