人生のどん底に落ち込んだ主人公のもとにふらっと現れた、象の姿をした神様、ガネーシャ。コテコテの関西弁でどやしつけながら、本当に勇気づけに来たのか、ただ単にからかいに来たのかわからないほど破天荒な振る舞いで主人公を翻弄していく。「夢をかなえるゾウ」の続編。
主人公は売れないお笑い芸人。就職しはしたものの夢を諦めきれず退社したあとは、狭いアパートに引っ越し身を切るような生活をしながら一流芸人になるために努力と忍耐の日々を送っている。だが、後輩に先を越され、先輩からは「サラリーマンに戻ったほうがいい」と言われ、才能の限界を悟りつつあった。そんな中、ひょんなことからガネーシャと共同生活することになり、一緒にコンビを組んでお笑いの王者を決める大会に参加することに。これまで目に見えなかった貧乏神の幸子、皮肉屋の釈迦も加え、自信を喪失していた主人公がガネーシャたちから人を笑わせることの本当の意味を学んでいく。
前作同様、小説の形式を借りた自己啓発本といった感じで、とかく箇条書き的で説教臭くなりがちな内容を、非常にやわらかく噛み砕きユーモアたっぷりに綴られている。もともと貧乏で薄給であるにもかかわらず、ガネーシャによって大きな借金を背負わされて文字どおり火の車となった主人公。借金返済のためにはお笑い大会での優勝が必須となり、これまでとは人が変わったように自己変革に取り組んでいく。だが、その最中、主人公に突きつけられたことは、他の出場者を蹴落として自分がのし上がっていくことではなく、むしろ「自分が困っているときに困っている人を助ける」ことだった。絶体絶命の窮地にあるときにそんなお人好しなことができるのだろうか。
その言葉の真意を測りかね、右往左往する主人公に幸子が語りだす。「いい人になっていはいけない。自分の欲求を抑えつけてまで何かを与えるということは、その相手まで不安にさせてしまう。そうではなく、自分も相手も喜び合えることこそが成功への道」だと。自分より優勝賞金を必要としている人のために道を譲り、その代わり自分もその人から何かを得る。要するに、ギブアンドテイクなのだが、主人公は依然釈然としない。そんな彼に幸子は語り続ける「何かを手に入れるということは何かを手放すということ。何かを手放す覚悟のない人が成功することはない」と。
前作では「トイレ掃除をする」「玄関を片付ける」など身の回りの整理をすることで環境が激変するといった内容だったと記憶しているが、今回はもっと壮大な精神論に話が及んでいる。これはすぐに実行できるものではなく、割と中長期的な視野と心構えが必要な分野。これまで自分が積み重ねてきたことを見知らぬ人に譲るなどとは、個人主義が蔓延した現代社会においてはまず考えづらいことだろう。本書は小説だからという見方ができるが、実際において本書のように実行することは話としては理解できるが難しいと言わざるを得ない。もちろん、相手方がどういう人物か見極めてのことだが、たが概念としてだけでも無私の精神を理解していないことには、本書はただの娯楽本で終わってしまうだろう。内容が面白いからといって流し読みしようとはせず、楽しみながらも行間をじっくりと味わいながら読みたいものだ。