著者のレオ・マルティンは元ドイツ連邦情報局員。麻薬密売組織や窃盗グループなど、ドイツ社会や市民を脅かす犯罪組織の解明することを目的に、主に情報提供者、つまりスパイをスカウトすることを専門に活躍してきた男だ。情報提供者というと、犯罪や反社会的人物に関わる極秘情報を仕入れては報酬と引き換えに流すことを稼業にしているタレコミ屋のことを想像するが、なにも彼らは報酬目当てで無条件に協力してくれるわけではない。それに、いかに報酬が大きくとも、組織と近い立場にいる彼らがどこの馬の骨とも知れない人に情報を流してくれるはずがない。そうした彼らをうまく引き込んで有益な情報を獲得し続けるには、ひとえに情報局員の手腕にかかっている。本書では、マルティンが情報局員だった頃の経験を通じて、身近な人間関係やビジネスシーンにも応用できる人心掌握術を紹介する。
ポイントは、相手からどのように情報を聞き出すかということより、相手に自分を信頼させて情報を伝えるよう仕向けること。というのも、情報局員が情報を得る相手となり得るのは、犯罪組織の内部にいる人間だけでなく、犯罪とは全く関係のない一般市民にも及ぶからである。つねにリスクと隣り合わせの無頼漢はともかく、善良な一般市民にとっては、たとえ知り得た情報が国益にかなうものだとしても、露見したらすぐ犯罪組織に目をつけられることとなり、それまでの平和な生活が一変してしまうこととなる。それゆえ、知らぬふりをして口をつぐんでしまうケースが多いのだが、その情報を必要としている局員にとってすれば何が何でも提供してもらわねばならない。だったらどうするのか。国家の救世主となってもらうべく熱く説得するのか、それともクリスマス100回分のプレゼントを持参するのか。どちらも正しくはない。正解は実に単純なことで、相手の性格・行動パターン・信条を見極め、どのようなタイプの人間であるか把握した上で接触することであり、相手に好きになってもらうような振る舞いをすることなのだ。
たとえば、物事を見るとき、細部の観察から入る「ルーペタイプ」の人と、全体像を把握せずにいられない「広角レンズタイプ」の人がいる。これはもちろん、すべての人がこのどちらかに当てはまるとは言い切れないが、傾向として瞬時に判断を下す際に大きな指針となる。つまり、ルーペタイプの人は個々の事物を捉えて少しずつパズルを組み立てていくのが好きなので、説明させるときは一から話していくのを遮ってはならない。広角レンズタイプは細部を観察する前に全体像を掴みたいので、説明するときは簡潔な状況報告に終始し冗長な言い方はしない。といった具合だ。このほか、ルーティン型とフレックス型、安定志向型と変化志向型、交渉派と実行派などのそれぞれ異なったタイプへの接し方のマニュアルが続く。
なお、上記のスキルを実践する前提として「人はみな違っているので、人間についての洞察力も人によって違う。相手はこういう性質がありこのタイプに属する、といったことを、最終的には各人が自分のために評価して整理する。情報員は心を完全にオープンにして人々と接し、志向の地平を広げ続ける。そうすれば将来のミッションで、より高度な機密を扱うだろう」としている。そして、このスキルを磨くための方策も提示する。「あなたの冷静な心を少しぐらつかせるような出会いがあれば、それを歓迎しよう。それによってあなたの能力がテストできる。もっともよいのは、自分とはまったく違うタイプの人の場合で、どうしてそのような行動を取るのか最初は見当もつかず、心を読むこともできない相手だ」。要するに、ソリが合わない人、一緒にいて不愉快になるような人に接し続けることで相手の心情が理解でき、自らの立ち位置も自然とわかるようになる。結局のところ、「相手の気持ちになって物を考える」。これに尽きるだろう。