ネット右翼の逆襲–「嫌韓」思想と新保守論

古谷経衡

収入、学歴、社会的地位、外見といった点の底辺に位置し、政治的には麻生太郎絶対支持、過激かつ排外的な言説を吐くという文脈で語られることの多い「ネット右翼」。ここ10年ほどで急速に浸透し、まるで生物学上の珍種でも発見されたかのように一気に定着した用語だが、その実態についての固定化は綿密な調査によってもたらされたものではない。この、世間一般が言うところのネット右翼像は、かつてはネット弁慶などと呼ばれた、インターネット空間でしか自己主張できない人たちから作られたものだ。そのバックグラウンドは、実社会において正社員になれない低所得者、リストラなどで職を追われた無職、ニートなど、いわゆる社会の負け組であり、彼らは自然と自己逃避の場所としてインターネット空間を選んだというわけだ。ここ最近では、在特会のように実際に特定の人種に向かって排撃の怒声を上げる人たちのことも広くネット右翼として括るようになった。要するに、「インターネット中毒者」「嫌韓」であればネット右翼として認定されてしまうのが昨今の潮流なのである。果たして本当にそうなのだろうか。新鋭の評論家、古谷経衡氏がネット右翼とインターネット思想論の真相に迫る。

とかく負のイメージで語られてしまうネット右翼であるが、そのイメージの成り立ちを紐解いていくと、必ずしも正鵠を得たものではなく、ある特定の組織、利権団体がつくりあげた虚像が勝手にひとり歩きしていると古谷氏は指摘する。まず、アキバ系とネット右翼を同一視する向きがあるが、これは両者とも反対の立場に立っており、相容れない存在であると説く。アキバ系、つまり秋葉原に数多くある同人誌専門店やホビー専門店などに入り浸っている人たちのことを言うが、彼らはネット右翼がネット右翼足りうる政治的主張はまったくもっていない、いやむしろ反対に左翼的であるというのだ。その根拠となるのが非実在性少年で話題になった東京都青少年保護育成条例。これは国民、特に未成年の健全育成を目的とした保守的な条例だが、過激な表現で性欲を刺激する同人誌を愛好するアキバ系たちから総スカンを食らった。また、麻生太郎が何度か秋葉原で演説を行い多くの聴衆を集めたが、これはアキバ系の人たちが純粋に麻生の主張を聞きに来たからではなく、彼の漫画好きという共通項に食らいついただけで政治的なアイデンティティは感じていなかった。

このように、アキバ系とネット右翼はもともと無関係であったが、それを強引に結びつけたのが映画「電車男」であったという。主人公は、身なりがむさ苦しくオタクという典型的なアキバ系のスタイルで、コミュ障だがパソコンのスキルだけはピカイチというネット右翼的要素も有している。こうして両者を合一した上で、ラストで意中の女性とハッピーエンドを迎えると、「ここ(インターネット)から卒業だな」と、ネット空間は実社会からの逃避先であったことが暗に示される。アキバ系とネット右翼を無理やりくっつけた挙句、インターネットを悪者呼ばわりする描写。電車男がでっち上げた罪は重いと古谷氏は語る。

そのほか、古谷氏が自身のツイッターアカウントで行ったネット右翼に関する意識調査の結果や、在特会の立ち位置など興味深い論評が続くが、最終章の「嫌韓思想と新保守論」は白眉であった。ネット右翼が誕生したタイミングとして、2002年の日韓ワールドカップがあげられるが、突然降って湧いたように出てきたわけではない。2005年に「マンガ嫌韓流」が出版されるや嫌韓はピークを迎えるのが、なにも号令があって一斉にネット右翼の活動が盛んになったわけでもない。その理由は、大手マスメディアがワールドカップにおける韓国の蛮行を報道しなかったことによる。報道しなかったからこそ、インターネット空間にそのリソースを求めるようになったのだ。ネット右翼の興隆はマスメディアに対する怒りや抗議の表明だったわけで、2010年の「はやぶさ帰還」で最高潮を迎える。当時、南アフリカワールドカップ開催中されていたのだが、はやぶさ帰還時の生中継はおろか、それを伝える報道すらもなく、代わりに日本にとってはどうでもいい国同士の試合であった。この世界史に残る偉業を見届けようと、ニコニコ動画やユーストリームの生中継に回線がパンクするほどのユーザーが集まった。この時すでにインターネットに入り浸っている人のことをネット右翼と呼ぶ向きができつつあったのだが、はやぶさ帰還の生中継に殺到した彼らは本当にネット右翼であったと言えるのだろうか。

本書では、ネット右翼の典型的イメージを覆すに十分な証拠、評論を提示するが、実際のところ、インターネット利用者が増えていくことに不都合を感じている人たちが一方的につくりあげたネット右翼像はいまだ幅を利かせているという認識で終わる。ネットのヘビーユーザー(特に2ちゃんねるなどの)を区別する名称としてネット右翼を用いるのは早計に過ぎるが、言われてみればすでに確立してしまった感はある。これを正してこなかったのはネット右翼と呼ばれる側の怠慢があるわけだが、それはまさに日本と「嫌韓」の対象である韓国との間に横たわる歴史的な溝を放置してきた自民党の政治家と重なるものがあるとも指摘。今日明日で解決できる問題でないだけに、いかにネット右翼の鮮明な実像が浮かび上がってきたとしても、電車男や在特会のようなわかりやすいビジュアルの向こう側にあるネット右翼像は当分消えないのかもしれない。


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